晴れた日、時間があったので西浦賀に行ってみた。
浦賀ドック。

歩いて行くと、渡船乗り場辺りでは工事をしている。
緑地護岸工事らしい。以前は古い桟橋があったが撤去され、基礎となる石が敷設された。歩道が造られるのだろか。


シティマリーナヴェラシスの入口に置いてある錨がいつの間にか銀色に塗装されていた。大きな錨だが、何の艦船のものなのだろうか?

川間ドック。こちらも貴重な煉瓦ドックだが、ゲートが開いたまま(撤去?)で海水が入ってしまっている。

坂を登る。この道も千代ヶ崎砲台への軍道をそのまま利用していると思われる。左側の空き地にも砲台関連施設があったのではないだろうか?

壁もとても古そうだ。

送信所は業者が解体作業をしているようだった。砲台跡を見たかったが「関係者以外立入禁止。ダメ。」ということで仕方なく引き返す。開いていた門はさっさと閉じていた。
駅からここまで歩いてきたのに残念だ。しかし東京湾要塞として文化財指定の動きがあるので、まあいずれ見学会などもあるかもしれない。
門柱。新砲台のものだろうか。

駐車場の隅にある「今上陛下御野立所」の碑であるが、倒れてしまっている。
今上陛下(昭和天皇)がこの地に行幸されたのを記念して東京湾要塞司令部によって建てられたものである。
詳細は
こちらにある。

以前はあった上部が欠損してしまっており、「東京湾要塞司令部」が「湾要塞司令部」になっている。斜面に落下したのか?

車止めに利用されてしまっているのでは・・・・。
こうした小さなものでも貴重な戦跡だろう。保存できないだろうか。
戦中に行幸碑をこのような扱いにしたら大変なことになりそうだよね。


2011年撮影の行幸碑。上部に亀裂はあったが接合されていた。

東京湾要塞司令部。


昭和三年五月二十四日、同日ここより前に馬堀の陸軍重砲兵学校にも行幸されており、行幸碑がある。

坂を下り、燈明堂に至る道を歩いていると崖側が崩れていた。先日の台風によるものか。



壕口が露出している。洞窟陣地の銃眼部だろうか?

この壕口は特に変化の様子はなかった。


刑務所沖の遺構。3つの煉瓦構造物である。検疫所跡だろうか


アシカ島遠望。

浜辺を歩いていると、サザエの殻がおちていた。けっこう大きいよね。

燈明堂(復元)。暗くなると今でも明かりがつく。

観音埼の聴音所遺構と後方の堡塁跡広場遠望。

猫。


もう一匹。

「何見てんだよ」

にゃ~

何かを見ている。

いい表情だ。

そしてまた何かを見ている。視線の先は・・

視線の先はこいつだった。

「ここは譲らぬ」

両者の位置。

何を思っているのだろう。

帰り道、特定建築行為お知らせ板を見てみる。

「川間リゾート開発計画」とある。

平成20年に看板設置、21年に承認されたようだ。
しかし、この看板の周囲の土地を見てみると工事が進んでる様子は見られない。途中で計画は頓挫したのだろうか。90年代頃からこの辺りのリゾート開発の計画はあったようだ。

来た道をまた歩いて帰る。バスも通っているが一時間に一本なんだよね。
スポンサーサイト
- 2013/11/13(水) 01:56:00|
- お出かけ+戦跡
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2