ついにこの時が来てしまった・・
これまで残ってきたのにこうして遺産と風景が失われた。


先日、現場に到着すると偶々先に来ていたyakumoさんに出会い一緒にこの光景を見てまわった。

ぶった切り。

対岸の丘の上の残骸の山は解体された大量の鉄骨の一時置場なのだろうか。

船舶会社が使用している海側の2棟(C・D棟)は残るが、水色の扉の2棟は年内に解体するらしい。

隙間から内部を覗く。まだまだそのまま使用できると思うが・・

木箱がたくさん置いてある。

退役潜水艦は相変わらずそこにいた。
退役したが再びの出番を待つ潜水艦と消え去る退役軍人ガントリークレーン。

一ヶ月前の姿、解体始まると早いよなー

さらばガントリークレーン。
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- 2013/07/25(木) 03:10:11|
- 戦跡
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68年前の今日、1945(昭和20)年7月18日は米軍による横須賀最大規模の空襲が行われた日である。
横須賀には空襲はなかったとか、占領後に米軍が工廠などの施設を使うために空襲による大規模な破壊を行わなかったといわれることがあり(後者は戦時中から噂はあった)一般にあまり知られていないだろう。実際は昭和17年のドゥーリットル空襲を初めとして組織的な空襲も受けている。主として軍港・工廠及び周辺を目標とした攻撃であったが民間にも被害が出ている。
ここでは昭和20年7月18日の横須賀最大規模の空襲について取り上げることとする。

(写真:『占領下の横須賀 連合国軍の上陸とその時代』横須賀市より)
(本記事は資料整理し後に続きを書きます。)
- 2013/07/18(木) 23:48:49|
- 横須賀空襲
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