
今年もふぉーとれすをご覧いただきありがとうございました!今後も様々な戦跡を紹介していきたいと思います。
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- 2011/12/31(土) 22:36:35|
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横須賀市米ヶ浜の龍本寺崖下に「冨士壕」「櫻壕」という名が付いた油貯蔵用防空壕がある。(命名:横須賀鎮守府 渋谷中佐)、海軍の命令により油脂販売業吉沢久蔵商店が昭和16年12月に壕を完成させたらしい。ドラム缶で燃料を貯蔵していたらしいが、実際は貯蔵するための燃料は少なく、軍服の授産所になっていたとか。
(参考:『ふるさと横須賀 下巻-幕末から戦後まで-』)
近年の崖の擁壁工事により壕は消滅したと思われたが、わずかに開口している箇所があることがわかり、
yakumoさんが内部調査に成功し、後日榴弾砲も
yakumoさんと内部調査を行った。
壕口は土砂でほとんど埋まっているため匍匐での進入となった。
yakumoさんがレジャーシートを敷いてくれた。
これがあるとホント助かる。ありがとうございます。
どこの壕でもよくあることだが壕口付近は放りこまれたゴミが散乱している。
ここから壕内空間が広がる。
薄い壁で隔てられて左右に外への開口部がある。(右側が入ってきた壕口)
左側の開口部へ通じる箇所、段差になっている。
上へ行くと開口部になっている。
外部からだと高位置に開口しているため、出入用ではなく、通気用だろうか。
壕の奥へと進んで行く。水没箇所あり。深くはないので長靴で進める。
このあたりもゴミが散乱。通路に対して部屋がある。
天井についている木材。
内装の一部だろうか。トタン板が残っている。
二部屋並ぶ。
壁に掘られた棚。丁寧に造られている。
なんか置いてある。
これも棚状構築。水が溜まっている。
天井の木材と碍子。
壁面にあいた穴。掘削時のミスであろうか。隣の部屋が見えてしまっている。
部屋。天井の木材。
通路。掘削の幅があちこち異なる。
急激に狭くなっている箇所。先に探索した
yakumoさんによると、高さが低く、幅が狭く、屈んで(ひよこ状態)進まねばならないとのこと。しかしその先には驚くべき広いコンクリートの空間が・・。
手前に土砂が積もっているが、崩落によるものではなく、掘削時に出たものが堆積したままになっているのではないか?
狭小通路を
yakumoさんが先行。この通路、掘削途中のままか?
通路の先端、接続部に辿りついてからが大変なのである。落差があり片足ずつまたいで入って行くのだ。
我も後に続き接続部の壁を乗り越えて到達。振り返って狭小通路を撮影。
狭い・・。人が通行するには狭すぎる。後から強引に掘削して接続した(途中)のか?
コンクリートの壁と狭小通路の接続部分。コンクリート壁が分厚い。
内部の大きさに驚く。しかもコンクリート巻き立てである。赤丸部分が入ってきた接続部。
ゴミや産廃が放りこまれておりそれが土手になっており、それを乗り越えて行く。
素掘りの壕が「冨士壕」でこの空間が燃料貯蔵の「櫻壕」にあたるのだろうか?
床面に自転車が沈んでるし・・これはまさか・・
と思ったら充填剤でしっかりと固められていた。底上げ状態。
狭小通路のその先にこのような空間があるとは・・。行ってみないとわからないことである。
赤丸部分に穴がある。気になる・・
下部の空間は出口方向が塞がれている。外側、この向こうは擁壁だろう。
上部の開口箇所・・この上の空間はどのようになっているのだろうか?
転がっていた大きなタイヤを立てかけてそれを足場によじ登ってみた。(写真:
yakumoさん撮影)
開口箇所を振り返る。けっこう高さがあるんだよね・・
結果、すぐに行き止まりであった。(まあ、出口方向に向かって開口しているから予想はできる)
外に開口しているであろう箇所は塞がれている。
封鎖。
足元が滑るので慎重に降りる。
狭小通路を戻って行く。
狭小通路を抜けたら次に狭いところがあるのでそこへ。今度はさらに通路が低くなるので、匍匐での前進となる。
その先にわずかに光が漏れているのだ。開口箇所があるのか?確認したいが、さすがに泥だらけになるので
yakumoさんが合羽を着て挑む。榴弾砲は待機。
奥まで到達すると先は、段差になっているようだ。
ここも低いが、堆積している土砂は崩落によるものではないようだ。岩盤はしっかりしている。

しばらくすると隊長が戻ってくる。

探索の結果によると、それ以上先はなく残念な結果であったらしい。どこかの裏手の倉庫になっていたようだ。
以上である。
現在残っている壕口もいつかは完全に埋められてしまうかもしれない。
- 2011/12/22(木) 03:56:16|
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小原台演習砲台を見学後、小原台堡塁砲台出土遺構の発掘調査現場の見学も行われた。
防大の食堂厨房施設に伴う埋蔵文化財発掘調査が行われたようだ。小原台堡塁砲台は明治25年(1892)起工、明治27年(1894)竣工、明治30年代に各種火砲を据付た。大正初期に廃止、工兵演習で爆破された。
発掘調査では文献に記載がないものも発見されたらしい。
発掘調査現場俯瞰(参加した見学会前日、建物上階より撮影)
土嚢で封鎖された壕らしきものも見えた。煉瓦遺構の残骸も。
外堀にあたると思われる空堀状遺構全景。
パイプが通っているがこれは当時のものではない。
鉄製の蓋?
階段の遺構の一部が残存。側防窖室(カポニエール)一部だとか。堡塁砲台は(堡塁と砲台の二つの要素を持つ)
堡塁は砲台の背面防御(砲台を守るための施設)であり、陸戦を行う。
奇跡的に鉄製の手摺が残っている!
煉瓦には漆喰が塗られているのが確認できる。
これらの遺構は調査後また埋められてしまうのだ。次に出てくるとしたら30年以上後だとか・・
見学後、かなり遅めの昼食を摂り、恒例の棒倒しを見て防大を後にした。今年は快晴で良かったな~
- 2011/12/14(水) 00:06:57|
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