yakumoさんの車に乗せていただき再び千葉県茂原市にやってきた。
今回はyakumoさん、バンデラさん、榴弾砲の3名である。
「1号掩体壕」は残念ながら宅地化により消滅していた。
(か)の掩体壕の現存が確認できた。

続いて「11号掩体壕」。開口部が特徴的である。
前回すぐ近くの3号掩体壕は見たのだが11号を見落としていた。ホントすぐ近くなのだが・・

内部。竹が生えている・・

内部から。

「11号掩体壕」の規模 6.4×18.6×12.2 零戦用だろうか。
続いて「4号掩体壕」。
かなり埋もれており、わかりづらい。

近くにきてなんとなくわかるくらいである。

内部を覗いてみる。筵などが確認できる。

「4号掩体壕」の規模 5.0×21.2×14.4 これも零戦用か。
続いて「5号掩体壕」。これは「6号掩体壕」のすぐ近く。前回6号は見たのだが5号は完全に見落としていた・・。6号の位置から5号が見えるのにーー。傘をさしていたし多少視界が悪かったのかな?

この掩体壕の状態は良好だ。床面のコンクリートがある。

内装。割ぐり石が多く見られる。


後部。

なんとも悔しい構図。2つの掩体が一枚におさまる・・左が5号で右に小さく写っているのが6号。

「5号掩体壕」の規模 5.2×20.6×11.9 零戦用か。
続いて「7号掩体壕」。


内装。状態が良い。筵やぐり石が多用されているのが分かる。

後部。

後部から。

「7号掩体壕」の規模 4.9×20.5×10.9 零戦用か。
続いて「8号掩体壕」。会社の敷地内にあり許可をとり撮影させてもらった。


内部。状態良好。きれいに仕上げされている。

「8号掩体壕」の規模 6.5×30.2×14 中型機用か。
こうして未見の掩体壕を確認することができた。
以上 参考・引用「もばら風土記 掩体壕が語る 茂原の歴史」
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- 2010/06/27(日) 00:24:34|
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6月23日は沖縄慰霊の日。沖縄戦から65年が経過しました。
昨年10月修学旅行最終日に班別自主行動で訪れた沖縄の海軍司令部壕です。一般公開され周辺は海軍壕公園として整備されています。
海軍司令部壕は那覇市と豊見城市の境に位置しており、小禄飛行場(現那覇空港)を見下ろすことができる七四高地と呼ばれる場所に建設された。建設は海軍第226設営隊が行った。最高軍事機密のため民間人は工事に関わっていない。
沖縄戦において沖縄方面根拠地隊司令部として使用された。司令官は大田実中将(死後昇進)

海軍壕公園ビジターセンター。壕にはここから入る。

まず資料館を見学する。遺物などが展示されている。






壕内図。壕全体は公開されていない。300メートルが公開されている。

壕入口。

かなり下っていく。階段は整備されている。見学しやすくなるのはいいかもしれないが本来の姿ではない。

下までおりて上を見てみる。かなり下ったな。

信号室。

入口。

内部。木枠がある。

通路を進んで行く。

作戦室入口。

内部。漆喰が塗られている。

幕僚室。自決時の手榴弾による生々しい弾痕が残る。

弾痕。

司令官室入口。

内部。壁に「滅覆米醜」と書いてある。
大田司令官はここで「沖縄県民斯ク戦ヘリ・・」で有名な訣別電報の文を書き拳銃自決した。


壁面に司令官の愛唱歌「大君の御はたのもとに・・・」の墨書が残る。

暗号室。ここから多くの電報が発信された。

発電室。発電機台が残る。

この先未公開部分。

医療室や下士官室があるのだが、室というか通路に面した窪みである。
当時通路まで兵で溢れ兵たちは立ったまま休息したという。


出撃口。出て行った兵士は二度と戻ってこなかった。

通路。

高台から市街を見下ろす。

もっとゆっくり壕内を見て回りたかったのだが、帰りの飛行機の時間の関係で空港に行かないとならなかった。



ぜひ海軍司令部壕含め沖縄は再訪したい。
- 2010/06/24(木) 01:42:31|
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LIVIN横須賀店の前に咲いていたデイゴの花。

うみかぜ公園から見た猿島。

猿島は見る場所によって形が様々。この場所からはとても近くに見える。

旧桟橋はなくなっちゃったんだよなあ。
- 2010/06/19(土) 23:22:30|
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続いて見つけたのは「6号掩体壕」だ。
※掩体壕の番号は茂原市教育委員会による残存掩体壕の遺構番号であり、当時のものではない。

正面から見る。上部は草に覆われてるから偽装が施されているみたいな感じだ。往時の状態に近いかも。

後部。

内部から外を見る。

ここにも筵や割ぐり石が見られる。

「6号掩体壕」の規模 4.9×19.9×11.0 中型機用か。
続いて「9号掩体壕」 個人宅の敷地内なのだが、出会った所有者の方に周辺の掩体壕について話を聞くことができ、さらに快く掩体壕内部まで見せていただくことができた。ありがとうございました。
覆っていた土砂は取り除いたとのこと。

前面を見る。茂原市の掩体壕の中で唯一開口部が「翼型」でなく「トンネル型」である。

後部。

内部へ。室内?は暖かい。木工所として使用されているようだ。有効活用ですね。


内装にはぐり石や木材が見られる。


「9号掩体壕」の規模 4.2×21.0×10.3 零戦用であろう。
続いて「3号掩体壕」を見つけることができた。この掩体壕は茂原市によって保護されている。


内部を見る。鉄鋼も露出している。

説明板。

「3号掩体壕」の規模 6.1×29.3×14.4 艦爆や艦攻等の中型機用だろうか。
続いて「10号掩体壕」 残念ながら近くで見れなかった。規模は6.6×30.5×13.8でこれも中型機用と思われる。

今回見ることができた掩体壕は以上である。
当時掩体壕の建設中に掩体壕が潰れ11名の兵士が下敷きになり死亡するという悲惨な事故も起きたらしい。
茂原市は一番多く掩体壕が残存している市町村である。
以上 参考・引用「もばら風土記 掩体壕が語る 茂原の歴史」
- 2010/06/13(日) 23:26:49|
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ここで紹介する掩体壕とは飛行機を敵の攻撃(砲爆撃等)から護るために造られたコンクリート製構造物(格納庫)である。(有蓋掩体)
「掩体壕」とは正式名称ではなく「掩体」と「掩壕」の総称として「掩体壕」という呼称が広まったらしい。
海軍では「飛行機用掩体」という用語が使われているらしい。
日本本土の飛行場に掩体壕が造られるようになったのは1943年(昭和18年)以降のこと。これは戦局の悪化により本土への空襲が避けられなくなり、耐弾性に優れた掩体壕が多数必要になったことによる。
44年にはマリアナ諸島が米軍に陥落し本土への空襲が激化、45年3月には作戦部隊の新編成に伴い、本土の飛行場の整備とその防備強化が同年5月完了を目途として全国的に展開された。
滑走路の延長や舗装、掩体壕と運搬路の増設、諸施設の地下化をさらに進め「本土決戦」に備えて臨戦態勢を整えようとした。しかしその頃には、あらゆる物資が窮乏し、建築機械もなく技術者もわずかしかいなかった。そのため、各方面から動員された人々により、最低限の資材で、簡易な工法による掩体壕が多数速成された。
掩体壕の工法一例
①アーチ型になるように土を半饅頭型に盛り固める。土には砂利を混ぜたものを使用。
②土饅頭型ができたら、天井部分に木材で張り、さらに側面にはセメント袋や筵を張り固める。
③ ②の上に鉄鋼をまんべんなく張る。
④ ③が完成したら、コンクリートを流し込み、アーチ状に塗り固める。
⑤コンクリートがよく中まで浸透し乾燥した段階で中の土砂をかき出す。
千葉県の茂原市には多くの掩体壕が残されている。残存しているもの全てではないが見ることができた。
長尾地下壕探索後、掩体壕を探した。
聞き込みをしてJR新茂原駅周辺を歩いて探すも見つからず、車で移動。そして最初に見つけたのが「2号掩体壕」だ。

側面。

前面。
この掩体壕は零戦用と考えられる。往時は土砂で覆われ偽装が施されていた。

内部を見ることができた。
内側は筵と割ぐり石で仕上げられている。



「2号掩体壕」の規模 4.9×20.5×16.6
次回に続きます。

参考・引用「もばら風土記 掩体壕が語る 茂原の歴史」
- 2010/06/12(土) 23:58:40|
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先日バンデラさんと観音崎に行きました。久しぶりですね。

『北門隠顕砲台』この説明板に載った理由は何だろうか?
今のところ『北門隠顕砲台』は存在していないが・・


展望園地から聴音所を見る。

設置されている双眼鏡を使って撮ってみる。望遠レンズのかわり。

これは前にも撮ったけどね。

東京湾観音。

この双眼鏡、ちょうど正面あたりの対岸の千葉で車が走行しているのまで見える!

東京電力横須賀火力発電所の煙突。

久里浜少年院沖、海上の謎の煉瓦遺構3つ。


東京湾フェリーと大型船。


展望園地の猫。


- 2010/06/08(火) 22:53:10|
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先日の夜馬堀海岸の16号線沿いの道を歩きました。夜の散歩もなかなか。

歩道が整備されているので散歩やランニングは最高です。夜は人が少ないかな。

横浜方面を写す。

漆黒の闇の猿島。

これは以前横浜にて撮影したもの。




ハマの夜景はやっぱりイイ!
- 2010/06/05(土) 21:15:03|
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今日も長い時間外にいました。天気が良くて日差しが強くてやっぱり日焼け・・

さて、それはさておき続きです。
階段を登る!洞窟陣地の階段みたいな感じだ。

開口部を見る。

上から見てみる。

開口部。周辺には軍道の痕跡と祠か横穴のような小壕があった。

階段を下る。
この辺りは水没している。

もう一箇所の階段。

先ほどの階段より足場が悪いのだが先人のロープがあるおかげで登れる。

開口部を見る。

水没対策だろうか。ビールケースの足場がある。

開口部。外は草木が生い茂る。

壕を出たあとは付近を歩いて探索。小壕をいくつか見つけた。
長尾地下壕はとても見ごたえがあった。ここは茂原海軍航空隊関連の地下壕であるようだ。

以上長尾地下壕でした。
- 2010/06/02(水) 23:59:08|
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今日は日中長く外にいたのですがその結果日焼けです。

明日も外にいる時間が長そうです。
さて、続きです。
壕内に戻り内部の探索を行う。碍子を確認。

開口部。

壁に数字が書いてある。これは④だが他にもある。ツルハシの跡もすごい・・

開口部があるのだが、この部分は造りかけ?階段にしては段差がありすぎる。

きれいだな~。ホント丁寧に掘削されてる。


これも開口部。両サイドの掘り込みがスゲー!


おおおっ!階段出現!

抜けている!開口部が見える。

To be continued
- 2010/06/01(火) 23:07:14|
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